芸能・エンタメ

籾井あきのバレー歴は小学校から?家族や国籍についても調査!

東京オリンピックバレーボール女子日本代表の正セッターとして

籾井あき選手が選ばれました。

籾井あき選手といえば、Vリーグではルーキーイヤーから正セッターを務め

チームの2連覇に貢献した若手ナンバーワンのセッターです。

日本代表は長らく正セッターを固定できずにいたので、

籾井あき選手に寄せる期待は大きなものとなっています。

そんな籾井あき選手のバレー歴を改めて調べてみました。

なんでも籾井あき選手は小学校2年の頃からバレーボールを始めたそうで、

ここに至るまで紆余曲折ありました。

その辺りを詳しく。

また、籾井あき選手の家族や国籍についてもあわせて調査しました。

籾井あきのバレー歴は小2から

籾井あき選手のバレー歴は次の通りです。

 

【小学校時代】

・小学校2年の時、友達にバレーボールクラブに誘われる。

・当初は、試合に出れず、練習と試合の応援の繰り返し。

・小学4年の時、レシーバーとして試合に出始める。

・小学校5年生からはスタメンに定着。ポジションはセッター。

・小学校6年生時には市の大会で2位。個人では市の選抜に選ばれる。

【中学校時代】

・中学校ではバレー部には入らず、クラフト部へ。

・中学3年時にバレーを再開、バレー部に入部。ポジションはスパイカー。

・チームは市の大会で1位。県大会でもベスト16まで進出。
個人では、JOC(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)の代表に入り、優秀選手に選ばれる。

【高校時代】

・高校1年時から春高バレーに出場。チームはベスト8。

・スパイカーからセッターに転向した高校2年の時も春高バレーに出場。この時もベスト8。

・高校3年の時の春高バレーは準決勝まで勝ち上がり、最終的には3位。

・インターハイの時期にVリーグのJTマーヴェラスから声がかかる。

【現在】

・JTマーヴェラスではルーキーイヤーの開幕戦からスタメンで出場。
それ以降も出場を続け、チームの優勝に貢献。個人としてもベスト6に選出される。

・2年目のシーズンも正セッターとして活躍。チームは連覇を果たす。

・オリンピックイヤーである2021年、初めて日本代表に選出される。

こうして改めて籾井あき選手のバレー歴を見てみると輝かしい実績とそれにともなう実力があるのが分かります。

VリーグのJTマーヴェラスに入ってからも正セッターとして活躍を続け、ついには日本代表にまでのぼりつめました。

そんな籾井あき選手ですが、もともと小学生の頃はバレーボールではなくテニスをしたかったそうです。

でも近所にテニススクールはなく、、、。

籾井あきの小学校はどこ?

籾井あき選手の出身小学校は、神奈川県相模原市の

富士見小学校です。

普通の公立の小学校です。

富士見小学校にはジュニアバレーボールクラブがあります。

籾井あき選手が小学校2年生の時、友達からバレーボールクラブに誘われます。

最初は体験という形で通っていましたが、やっていくうちに楽しいと感じるようになり、正式入団。

富士見小学校以外の学校からも多数参加しており、チームの人数は全部で40人ほどいました。

そのせいもあってか、はじめのうちは、なかなか試合には出れず、練習と試合の応援の繰り返しでした。

それでも小学4年生になると、レシーバーとして試合に出れるようになります。

この時期ぐらいから練習後夜に、母親と自主練に取り組むようになり、、

その結果、5年生からはスタメンに定着します。ポジションはセッター。

そして、6年生の時にはチームは市の大会で2位。

籾井あき選手個人も市の選抜に選ばれます。

こうしてキャリアを順調にスタートさせた籾井あき選手でしたが、中学ではバレーボールをやめてしまいます。

籾井あきの中学校は?

籾井あき選手の出身中学は、

相模原市立中央中等教育学校です。

小学校時代、練習は週に6日だったこともあり、籾井あき選手はバレーボールを純粋に楽しめなくなっていました。

また、中学校のバレー部の練習方針などが自分には合ってないと感じ、いったん、バレーボールから離れてしまいます。

そしてクラフト部へ入部します。

中学3年になると、バレー部の方針が変わり、

「これなら楽しくやれそう」

と、バレーボールを再開するため入部を決めます。

ポジションはスパイカー。

顧問の先生はバレー経験がなかったので、練習もミーティングも自分たちが主導して行いました。

結果、チームとしても個人としても一定の成績を納めます。

すると名門高校からスカウトの声がかかります。

籾井あきの高校は?

籾井あき選手の出身高校は、八王子実践高校です。

籾井あき選手は、高校ではバレーを続ける気はありませんでした。

でも八王子実践高校から熱心にスカウトの声がかかります。

八王子実践高校といえば、大林素子選手や狩野舞子選手と言った日本代表選手を数多く排出した名門校。

籾井あき選手は八王子実践高校でバレーボールを続けることを決意します。

春高バレーには1年生の時から出場しますが、

「スパイカーには向いていない、全国レベルでは通用しない」

と痛感します。

そんな思いと、チーム、監督の方針が重なり、高校2年時からセッターに転向します。

セッターは言わば司令塔で、チームの1人1人とのコミュニケーションスキルが求められるポジションです。

当初はその部分で苦労しますが、徐々にコミュニケーションをとれるようになり、春高バレーでは、

「バレーそのものを楽しめた」

そうです。

そして迎えた高校3年の春高バレー。

一回戦では緊張していたスタメンの1年生2人に声をかけるのが必至だったそうで、試合も何とか僅差で勝利。

その後は順調に勝ち上がり、最終的には3位という成績でした。

籾井あき選手は、中学では2年間ものあいだ、バレーから離れていました。

理由はバレーが楽しくなくなったから。

しかしながら高校2年の時にセッターに転向したことにより、バレーの楽しさ、魅力に改めて気づきます。

楽しいと思える要素があってこそ、その能力は最大限発揮される。

籾井あき選手は、いまや日本代表の正セッターです。

籾井あきの家族や国籍について

籾井あき選手の家族は、

父親がスペインとペルーのハーフ

母親が日本とペルーのハーフ

だそうです。

籾井あき選手は、目鼻立ちがはっきりしていて整っていることから

「ハーフなのでは?」

という声も聞かれますが、厳密にはクウォーターです。

こちらは幼い頃の籾井あき選手。可愛いすぎです。

 

この投稿をInstagramで見る

 

籾井あき(@aki_1007___)がシェアした投稿

両親以外の兄弟などの家族の情報も調査しましたが、見つからず不明でした。

オリンピックで活躍し、知名度がさらに上がれば、家族に関する情報も出てくると思います。

その時はまた随時、お伝えしていきます。

籾井あき選手の国籍は、高校まではペルー国籍でした。

したがって、その実力がありながら世代別の日本代表に選ばれることはありませんでした。

現在、籾井あき選手は日本国籍です。

VリーグのJTマーヴェラスに入団するくらいの時期に取得

日本代表入りを見据えて、というのもあったと思います。

そしてついに、2021年、東京オリンピックの日本代表に選出されました。

まとめ

今回は、東京オリンピックバレーボール女子日本代表のセッター籾井あき選手のバレー歴や家族、国籍などのついて調べてみました。

籾井あき選手のバレー歴は小学校2年生から。

年齢で言うと8歳頃からバレーを始めていて中学2年間はバレーから離れているので、バレー歴は約10年。

「楽しい」を大切にしながらバレーを継続。

そしてオリンピック日本代表に選出!

籾井あき選手の出身校はそれぞれ、

  • 富士見小学校
  • 中央中等教育学校
  • 八王子実践高校

チームとしても個人としても活躍を続け、Vリーグでも2連覇に貢献。

若干二十歳ながら日本代表に選出されるだけのキャリアを過ごす。

そして、国籍は高校まではペルー国籍でしたが、現在は日本国籍

ということが分かりました。

日本代表の中田久美監督は、籾井あき選手を、

「チームを勝たせられるセッター」と評しています。

そして、

「頼もしい存在」

とも。

籾井あき選手に寄せる期待は日に日に大きなものとなっています。

一方で、時折見せる籾井あき選手のトリッキーなプレーに、

「経験不足だ」

という批判的な意見があるのも事実です。

でもこういう選手こそが起爆剤となりチームの躍進につながっていくものです。

籾井あき選手には周りの雑音なんか気にせず、自分のプレースタイル貫き、チームを勝利に導いてほしいと思います。

東京オリンピックでの籾井あき選手の活躍に期待しましょう!